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納骨堂を選ぶコツからペットのお墓まで

納骨堂と似て非なる「永代供養墓」とは何か?<前編>

● いわゆる「永代供養墓」の定義とは何か


一般的に、家族や親戚をひとまとまりとして考える「イエ」がひとつの単位となって承継されてゆくのが「お墓」です。それでは、「永代供養墓」の場合はどうでしょうか。実は、いまだにこうした「施設」については確たる定義はなされてはおりません。そもそも「永代供養墓」という呼称の他にも、「集合墓」や「合葬墓」、あるいは「合祀墓」といった呼び方もあるようです。ちなみに、「墓地、埋葬等に関する法律」に拠る行政の判断もその構造や外形が同じであったとしても、ある時には《墳墓》としていたり、また《納骨堂》としたりする場合があるなど、まちまちな判断がなされています。本サイトでもそうした峻別はなされていないようです。


参考までに、行政ではこうした「永代供養墓」をどのように呼んでいるかを調べてみると、平成12年12月6日付で摩生省生活衛生局長が各都道府県知事などに通知した「墓地経営・管理の指対等について(生衛生発第1764号)」では、《埋蔵管理委託型(墓地)》としています。しかしこれも一般に定着しているとは言えません。 こうしたことなどを踏まえた上で、あえて「永代供養墓」というものを定義付けするならば、「承継者の有無にかかわらず、寺院や霊園が半永久的に供養・管理を約束する墓地(施設)」と言うことができるかもしれません。


次に、いつごろからこうした新しい形態の墓が出てきたのでしょうか。最初に世間の注目を集めたのは、平成に入る少し前。滋賀県にある天台宗総本山、比叡山延暦寺が昭和60年に開設した「久遠墓」と呼ばれるお墓がこれにあたると考えます。
しかし、「永代供養墓」が社会的に広く認知されるきっかけ、嚆矢ともいえるものは、平成に入ってから登場した日蓮宗妙光寺の「安穏廟」(新潟市角田浜)になるというのが多くの関係者、衆目一致するところでしょう。以後、翌平成2年には高野山真言宗功徳院東京別院である「すがも平和霊園」内に設けられた「もやいの碑」(東京都豊島区)、そして、日蓮宗常寂光寺の「志縁廟」(京都市右京区)といった形で全国各地に次々と開設されてゆくことになります。本年は既に平成24年になるのですから、永代供養基が誕生しておよそ20年以上になります。
もっとも、係累のいないお墓を整理するために、そこにおさめられていた「お骨」を合葬する「塔」、もしくは「塚」は、既に古くから寺院の境内墓地内には造られておりました。そこに新しい意味付けがされる様になった背景には、戦後の墓地がどういった形で提供されてきたのかを振り返ってみる必要があります。

   <後編に続く>

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